アロゼの休憩室20「500円玉事件」

30数回やって来る予定の『アロゼの休憩室』も、とうとう20回目を迎えました。
いつの間にか後半戦に突入してしまっていましたが、
最初に「書きたい」と思っていたことのどれぐらいのことを書けているんだろう……
と反省してみたり、しみじみしてみたり です。

今日はね、表題にある通り、『500円玉事件』のことを書きます。

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500円玉は、それまで紙幣だったものに代わって1982年に登場しました。
私は小学4年生でした。

ある日、クラスメイトの女の子が自宅に遊びに来たんです。
学校でしゃべれない私は、唯一のびのびできる場所である自宅には、
できれば遊びに来て欲しくなかったんだけど、
やんちゃな子で、断っても来ちゃうような子で、結局断れませんでした。

彼女は私の部屋の小物入れを勝手に開けて、母が「記念に取っておこうね」と入れてくれていた500円玉を見付けると、それを持って、私を駄菓子屋さんに連れて行ったんです。
で、当時流行っていた小振りのアイスクリームを2つ買って、1つは自分が食べ、1つは私に食べさせました。

まあ、それはそれで良かったんです。
当時、頼まれたおつかいや、学校で使うノートや消しゴムを学校の購買で買うことしか経験したことの無かった私には、
子どもだけでお店に行って、その場で好きなものを選んで買うっていうのは、とっても新鮮なできごとでした。
「この子は学校じゃないところでは こんな風にして過ごしているんだな……」なんて思ったりして。

だけど、買い物に使ったお金は、母が「記念にとっておこうね」とくれた500円玉だったんです。
首を縦に振るか横に振るかでしか友達への意思表示ができなかった私には、
「母が記念にとくれた500円玉だから使いたくない」と伝えることができなかったんです。

小物入れの500円玉が無くなっていることに気付いた母に問いただされ、使ってしまった経緯を話しました。
母はすぐにクラスメイトのお母さんに電話し、私を連れて彼女の家に……。
夕方を過ぎて、少し薄暗くなり始めた頃で、
彼女の家の庭先で、私の母と彼女のお母さんが話しをしていた場景を覚えています。
私は気まずさでいっぱいで、母たちが何を話していたのかは覚えていないのですが、
母は彼女を責めるのではなくて、私が外でしゃべらない子だから……という方向で話してくれていたように思います。
彼女のお母さんは布団たたきが折れるぐらい叱る人らしくて、
私の母は、『500円玉事件』の話はしておかないと……と思ったけど、そのことで彼女がまた たたかれるのはかわいそうだし、そのようなことが無いように穏やかに話したそうです。

後日談があります。

彼女、学校では やんちゃで有名な子でしたが、そろばんが上手で、何級だったかは忘れちゃったけど、上の方の級も取っていて、頭の回転のいい子でした。
走るのも めちゃめちゃ速くて、いつも学年1,2位を争っているような子で、やれば勉強も運動も何でもこなせる子でした。
誘われて、彼女の通っているそろばん教室に数回一緒に行きました。
私はそろばんはやる気が無くて、数回でやめちゃったんだけど。

それと彼女、私がちゃんとOKの意思表示をするまで、自分の判断だけでことを進めるってことをせずにいてくれるようになりました。
5年生の時にクラスが別になって、6年生でまた同じクラスになったのですが、
嫌な事をする やんちゃさんではなくて、守ってくれる やんちゃさんになっていました。
彼女の仲間の やんちゃさんたちも一緒に。

これ、どっちが悪いとかどうとかって話じゃないです。
私が、家族以外への意思表示が難しい子だったために起こってしまった『500円玉事件』。
私が、「嫌なものは嫌」と、家以外の場所でも意思表示できるように努力を始めるきっかけになった事件です。
そう言えばあんなことあったな……って話です。

ただ、親の立場になってみて思うのは、
私は親に守ってもらっていたってことです。

幼児期から中学生までの長い間を場面緘黙の状態で過ごしてしまった私は、友だちと遊んだという経験が極端に少ないです。
我が子の一般的な友だち付き合いに戸惑いを覚えてしまいます。
親になったんだから……と頑張っていても、怖いです。
「場面緘黙」という状態からは脱しましたが、「じゃあこれで きれいさっぱり さよなら~」って訳にはいかないものを感じています。
だけど、いつか我が子が親の立場になった時に、今の私に近いようなことを思ってくれたら……、と歩いています。

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そうそう、500円玉の裏面(数字で500と書いてある方)には、小さな橘(たちばな)が描かれています。
このことは、ついこの間、この『500円玉事件』の回を書くために500円玉のことを調べていて知りました。
私が、製菓を通した環境教育・科学教育及び場面緘黙児支援のための活動として、
タジマモリと橘のお話をつまみながら
『銀菓神使アロゼ』のお話を書いていることに、不思議な縁を感じました。