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アロゼの休憩室1「作者自己紹介」

どうも~(^O^)/
『銀菓神使アロゼ』を書いている高橋倫子(たかはしともこ)です。
予告も無しに突然始まった「アロゼの休憩室」ですが、
ほぼ10日に1回ぐらいの割合でお届けしていこうかと考えています。

今日は「作者自己紹介」ということで進めていきまーす。

夫1人、子ども1人の40代の主婦です。
(知りたくはないと思いますが、
万が一作者の経歴など知りたいという方は
宇宙製菓学研究室の講師紹介のページに載せていますのでご覧ください。)

物心ついた頃からおとなしめキャラではありましたが、
将来の夢はモモレンジャーで、
幼稚園のトランポリンでジャンプの練習をしたり、ブロック塀によじ登ってポーズをつけて飛び降りる練習をしてみたりと、やってることは活発なタイプの女の子でした。

場面緘黙の症状がはっきりと現れたのは、父の転勤のため、小学校入学後1週間で転校という体験をしたあとです。
転校先の方言に馴染めず、方言で話しかけられても何を言われたのか分からず、分からないので何も答えられず、気が付いたら学校でしゃべれない子になっていました。と同時に、学校でスムーズに動けない子になっていました(このことを「緘動」というそうです)。

当時は今のように情報ツールも発達しておらず、それが場面緘黙であるということを知らぬまま、そしてもちろん自然に治るということも無いまま、小中学生時代を過ごしました。
実は、小学生の時、緘黙を疑ってくださった先生もいらしたのですが、
私の場合、手を挙げて発表したり音読したりはできることや、子ども同士では話せなくても先生になら話ができる……ということから、その時は緘黙ではないという判断をされてしまったため、専門医などに掛かることはありませんでした。

父は転勤族でしたので、誰も自分のことを知らない環境で「しゃべれる子」に変身するチャンスは何度かあったのですが、転校しても転校しても治りませんでした。

「あれ? 治るかも……」と思ったのは、受験を控えた中学3年生の1月半ば、父の転勤で転校した時です。
転校が決まった時には、「どうして今? もう少しで卒業なのに……」と思いましたが、今思えば「治るかも……」という感覚に出会えた転機でした。

転校先の方言が、私の耳に心地良かったのです。
このリズム、このアクセントなら、まねしてしゃべれる! と思いました。
その時点ではまだ「場面緘黙」というものを知らなかった私は、そこから「自分の努力で治す」という戦いを始めました。

場面緘黙という言葉を知ったのは、大学生の時の教育心理学の講義中のことでした。
教科書に1行だけの記載。でも、これは私には大きな収穫でした。

大学卒業後、地元の中小企業の事務員として就職しました。
当時は必死で仕事をしていたつもりでしたが、報連相(ほうれんそう/報告・連絡・相談)のできない問題社員だったと思います。
電話応対も情けないほど苦手で、自分の机の電話の横にはセリフを書いた紙を貼りつけていました。ほかの机の電話を取らなければならない状況の時はセリフを書いた紙を見ることができず、頭の中がドタバタ騒ぎでした。

だから、結婚して家庭を持つなんてあり得ないと思っていたのです。
ところが……、家で家族としゃべるのと同じ感覚でしゃべれる人に出会ってしまったのです。
それが今の主人。

で、場面緘黙を(多分)克服した私は、『銀菓神使アロゼ』のような活動を始めてしまったのです。
これまでの人生が、こういうことのためにあったような気がして。

ざざーっと急ぎ足で書いたので分かりにくいところ満載だと思いますが、
『銀菓神使アロゼ』はこんな私が書いています(*^-^*)

どうぞよろしく~ (^_-)-☆
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