私の、「笛」四方山話 2

ふと、「おもちゃの笛」と「ちゃんとした笛」の境目って何なのだろうと思うことがある。そもそも、「ちゃんとした」ってどういうことなのだろう。
子どもの頃の私には、「おもちゃの笛」と「ちゃんとした笛」の間に、ぼんやりとだが確実に、その境目があった。そして、いつか「ちゃんとした笛」を吹きたいと思っていた。
だが、今の私は子どもの頃の私とは少し違う。子どもの頃に思っていた、「おもちゃの笛」も「ちゃんとした笛」も、奏者が「ちゃんとした笛」だと思って吹けば、それは「ちゃんとした笛」なのだ。
「おもちゃの笛」と「ちゃんとした笛」の境目について考える時、小学校低学年の頃に手にした、ある学習雑誌の付録だったスライドホイッスルのようなもののことを思い出す。当時の私には、「おもちゃの笛」でもなく「ちゃんとした笛」でもない、不思議なポジションを陣取っている楽器だった。今思えばポジションなんてどちらでもよかったのに、当時の私にはその状態が気持ち悪くて仕方なかった。
現在、私が主に吹いている笛は、篠笛のようで篠笛ではない、6穴フルートのような横笛である。昔の私なら、どちらかと言えば、「気持ち悪いもの」の部類に入れてしまっていたものである。だけど、この横笛に、私は自分から望んで飛び込んだ。子どもの頃の、「おもちゃの笛」か「ちゃんとした笛」か、という分類ではなく、「私が吹きたい笛」だと思ったから。
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私の、「笛」四方山話 1

若い頃はあれもこれもやりたいことがいっぱいで、どれか一つになんかとても決められなくて、随分大きな回り道をしてしまったのかもしれない。
少しずつ歳を重ね、少しずつ「あれもこれも」から諦めのついたものを削っていき、だんだんと、きっとこれは一生やめられないんだろうな…と思うものが見えてくる。
私の場合は、それが「笛」なのかもしれない。最近、そんなことを思う。
人生で一番最初の笛の記憶は、小学校低学年の頃、山陰の清水寺を訪れた際に買ってもらった、鳥の形の陶器の水笛。まあ、その前には口笛という笛にも出合っていたのだけど、楽器としての、という意味ではこの水笛が私の最初の笛。
この水笛の、水を入れた時の何とも言えない愉快な響きに、私の心は音へのときめきを覚えたのである。
ものは試し。口に水を含んで口笛を吹いてみたこともある。どうなるか。興味のある方はお試しあれ。
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